最近巨人に帰ってきた上原浩治って何者!?上原浩治のこれまでの偉業を徹底解明!
こんにちは!
はるです!
今日は
【日本に帰ってきた
上原浩治って何者!?】
についてです!
上原浩治は今年日本に帰ってきました
それまではメジャーで活躍していました
オリオールズ→レンジャーズ→
といろんな球団でプレーしていたんですね
そして今年読売ジャイアンツに入団しました!
実はメジャーに行く前にはドラフト1位で
読売ジャイアンツでプレーしていたんです!
今は読売ジャイアンツの抑えとして
起用されていますが、通算15回を投げて
防御率5.79と抑えにして結構高いですね
しかも安打14本、本塁打4本と
なかなか打たれていますね笑
なんだか少し松坂大輔を思い出します
ですが年俸は2億円+出来高と
なかなかに高いですね
今のところ年俸ににあう役目を
果たしてないように思えます
世間から
なぜ1軍に残っているの?
と疑問を感じるぐらいですからね
今はこんな結果だけど
昔はどんな選手だったの?
と思うあなた!
今日は上原浩治という選手について
読んでくれているあなただけに
特別に教えます!
ぜひ最後まで読んでいってください!
【日本に帰ってきた
上原浩治って何者!?】
1.学生時代
高校では中学で鍛えた脚力を見込まれ
外野手を守り、時折打撃投手を
任されていました
それから少し投手をやるようになり
3年で投手になるが
建山義紀の控えだっため
ほとんど登板機会がなかったそうです
夏の大会は府大会で負けてしまい
上原浩治はまだ無名の選手でした
負けたときはもちろん
ドラフトから声をかかることもなく
まさかのプロ野球ではなく
体育教師を目標に大学進学を決めました
運動能力と学力は
合格ラインだと自負して
大阪体育大学の受験に備えましたが
結果は不合格でした
自分の能力を過信していたみたいですね笑
その悔しさから予備校とジムに入り
学力と運動能力を強化して
見事に合格することができました
大学では野球部に入り1年ぶりの投球をすると
自身が驚くほどに球速が上がっていて
スピードガンで測ったところ
146km/hもあったんです
その年の阪神大学リーグでは
投手として優勝に貢献し
プロからの注目を浴びることになります
遅咲きの選手だったんですね
大学3年の時日米大学野球選手権大会に出場し
大会で14三振を奪いメジャー球団の
関心を惹きました
その後も国際大会で
最優秀選手賞を獲得するなど
華々しい成績を上げ
1998年のドラフトでは
目玉として目されました
その時にメジャー球団からのオファーもあり
2択を迫られます
いっときはエンゼルス入りに傾いていましたが
父が巨人ファンということと
当時の監督長嶋茂雄と抜け道というていで
偶然に顔を合わせ、同席しました
プロ監督とアマチュア選手の接触は
ルール上禁止されているみたいです!
その時に上原は興奮するのではなく
困惑をしていました
「巨人ってそこまでするの?」
という気持ちが膨らみました
その後上原は迷いながらも巨人を逆指名し
「メジャーでやっていくには自信がない」
とコメントしました
背番号は「19」番
これは大学に失敗して浪人生活を送った
19歳の1年間を忘れないようにという
意味が込められています!
なんかかっこいいですね笑
2.巨人時代
1999年では毎週日曜に
登板されるローテンションから
「サンデー上原」と言われていたみたいです笑
そのシーズンに
最多勝利
最高勝率
を受賞し、投手では4冠を達成!
また、新人王と沢村賞も受賞し
上原は自分を雑草に例えた
「雑草魂」と言っていました
たまに使いますけど
雑草魂という言葉は
ここから生まれたんですね!
2006年の第1回WBCにエースとして出場し
3戦2勝と優勝に貢献し
大会最多の16奪三振を記録しました!
2008年にFA権を取得し
11月14日にFA宣言を行い
メジャーリーグ挑戦を発表しました
1球団を経てメジャーへの挑戦って
最近では大谷翔平を思い出しますね!
3.メジャー時代
日本人初として入団しました
開幕から先発ローテンションに入り
ニューヨーク・ヤンキース相手に
初勝利をあげました
新しく就任してきた監督に
暫定クローザーとして起用され
それからは抑えとして起用されました
2011年にケビン・グレッグという
クローザーが入団してきて
上原はセットアッパーとして起用されます
前年から続いていた無死球連続試合数は
36試合まで伸び
MLB歴代3位の記録になりました
オリオールズは上原が投げる時に
「kojiコール」が起きるほど
ファンから信頼されていたんですね
「オオタニコール」なのに
上原は下の名前で呼ばれるほど
信頼されていたのがよくわかりますね
その後はテキサス・レンジャーズに入団し
高校の同級生でもあった
建山義紀と再会
まさか建山義紀もあの上原がここまでくるとは
と思っていたでしょう
その後ボストン・レッドソックスに入団
上原の入団は
「レッドソックスは奇跡を捕まえた」
と言われるほど賞賛されていました
2013年のレギュラーシーズンでは
前年から続く22試合連続無失点を記録しました
その後エンゼルスとの対戦で
与四球を記録しましたが
なんと920人目にして初めての与四球です
919人も与四球を出さないなんて
すごいですね!
それからはワールドシリーズで活躍し
胴上げ投手にもなりました
その後2016年にシカゴ・カブスに入団し
来年オファーがなければ引退すると
事実上の引退宣言をしました
2017年は開幕戦となるカージナルスとの試合で
同年シーズン初登板を果たし
1イニングを投げ無失点に抑えた
メジャーで20年近くもプレーできるなんて
すごすぎますね!
4.古巣巨人復帰
日本球界復帰やマイナー契約の意志はなく
もう引退するなどとささやかれていましたが
2018年に一転して日本球界への復帰が
期待されました
そして3月9日に年俸2億円+出来高で
古巣巨人と1年契約を結びました
思い入れのある背番号「19」は
菅野智之がつけていたため
なくなく背番号は「11」番を
背負うことになりました
3月31日に阪神タイガースとの試合で
8回に4番手として登板し
三者凡退無失点に抑えました
このように上原選手は
遅咲きの選手だったにもかかわらず
幾多のケガも乗り越えて
ここまで活躍していたんです!
ちなみに復帰した理由は
子供がパパの野球してる姿を見たいから
ということらしいです
それで43歳にもかかわらず
子供のために現役でいるなんて
とてもいいお父さんですね!
今はなんで1軍にいるんだと
言われていますが、上原選手は
まだまだこんな選手ではありません!
必ず古巣巨人で
抑えとして大活躍してくれます!
今後の上原選手の活躍に期待しましょう!
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